梅ヶ島ってどこ?


(一応、静岡市葵区なんですけど・・・。)
「島」といっても山奥です。静岡駅から(約45km)北へ安倍川に沿ってどこまでもどこまでも上ると、そこはもう山梨県、南アルプスの麓に位置する渓谷の山里、それが梅ヶ島です。
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梅薫楼全景

もしかして
梅ヶ島へのドライブの途中

気軽に「近くのコンビニで・・・。」などとお考えでは?
             右の写真(→)
の看板のコンビニエンスストアは、梅ヶ島温泉より、な、なんと30km(!!)下流。
(静岡市内とはいえ、梅ヶ島は、安倍川の最上流の山奥の最深部なのです。)
「島」という字の薀蓄(うんちく)話

梅ヶ島というと、よく「伊豆半島のどこかだろう」とおっしゃる方を多くお見受けします。確かに「島」というと海に浮かぶ島をまず想像し、海辺の場所とお思いになるのは当然のことです。
しかし、島には2つの漢字があることはご存知でしょうか。「」と「」です。
梅ヶ島の島は、本来「嶋」でした。「嶋」は、山あいの水辺に人が集まった場所(村、集落、繁華街)といった意味合いのものでした。映画やテレビで、暴力団の世界で「ウチのシマに手を出す、シマ荒らし」などいう言葉を聞いたことがあると思いますが、実はこの「シマ」こそ「嶋」のことだったのです。(!)
このあたりは、山奥の辺境ですが、安倍川の清流のほとりにかろうじて人々が湯治めあてに集い、梅も近くに豊富に咲いていたので、「梅ヶ嶋」という地名がついたものと思われます。
日本全国、よく調べてみると、山奥の川沿いに「島」のつく地名が結構多いのはそのためなのです。

梅ヶ島温泉の自然
安倍川の最上流、沢となった清流のせせらぎを枕に床に就き、朝は鶯(うぐいす)の声に目覚め、山菜や川魚、猪や鹿などの山の幸に舌鼓を打つ、そんな経験をできる静かな山里です。
標高は約1000m、夏でも25℃と冷房もいらない涼しさです。
山奥ゆえ、緑が映える新緑の頃も見ごろですが、シロヤシオ(5月)、アカヤシオ(5月)、深山ツツジ、山桜、イワシャジン、山百合(6月)などの花々も街道沿いに気軽に見ることができます。
秋の紅葉のシーズンは年間を通じて最も人々で賑わう時期です。、もみじはもちろん、かえで、クヌギなどの広葉樹が色鮮やかに色づきます。
名産品は、お茶、しいたけ、山菜、ワサビ、ヤマメの養殖など。
最近は、原生林や高山植物などの手付かずの自然が見学できる沢上りのエコツーリズム「ワサビ沢」が注目をあびています。

梅ヶ島新田神楽
      
(かぐら)
梅ヶ島金山
(日影沢)
神社の記録によると、江戸時代の初期にはすでに神楽が奉納されていたので、少なくとも400年は脈々と受け継がれてきた伝統のある民俗芸能です。静岡市の無形民俗文化財に指定されています。
今では、新田稲荷神社を中心に、青年会と神楽保存会がその担い手になり、礼儀作法も含めた厳しい練習を日々繰り返しています。市立梅ヶ島中学校でも、総合学習の一環として、地元の伝統文化を大切に学ぶ機会が設けられ、梅ヶ島の歴史や民俗、風習が育まれています。
諸行事の中でも特に有名で盛大なのが、例年新暦3月第二土曜日をホンビ(本日)とする「初午(はつうま)祭」です。
当屋祭、ハマオリ(祭典)、チキドン(門付け芸)、余興、オリビラキ、ザンバライなどといった、伝統的に伝わる独特の祭礼が行われます。
日影沢金山は、梅ヶ島温泉の下流約4kmの山間にあり、武田氏、今川氏の金山として有名で享禄年間(1528〜1531)には大量の砂金を産出してたびたび朝廷に寄進したという記録が残っています。天正3年(1575)金鉱脈が発見されそれまでの砂金採取から坑道堀が行なわれるようになったそうです。
今川氏、そして徳川氏によって直轄で管理される時代になり、有名な慶長小判もこの金山の金を使って鋳造されていました。
 当梅薫楼には、この金鉱に入る出入り口の格子扉の鍵(カンヌキ型)が伝わっています。L字の形をしていて、泥棒の隠語(人差し指一本を曲げる合図)の原型となっている珍しい鍵です。
静岡市市制100周年記念写真集
静岡市の市制100周年を記念して出版した「静岡市の100年」にも梅ヶ島は古くから登場しています。
安倍川の材木流しや、渡し舟、つり橋などの人々の生活ぶりが窺える写真集です。(中村洋一郎氏監修)
梅ヶ島温泉では、「梅薫楼」の明治〜大正、昭和の珍しい写真や、梅ヶ島村の役場、祭り、バスの乗り入れの開始など、村の歴史にはこと欠かせない歴史写真資料です。